
土田一徳(坂井一徳) プロフィール・生い立ち・経歴まとめ
以下は公に確認できる範囲での情報を元に整理したものです。
ただし、告白・証言を含む部分は本人の主張であり、証拠関係も含めて慎重に扱う必要があります。
基本情報・生年月日・年齢・家族構成・学歴
名前:土田 一徳(つちだ かずのり)
現芸名・本名:坂井 一徳(さかい かずのり)
生年月日:1969年6月28日 年齢:2025年時点で56歳(1969年生まれ)
出身地/育ち:出生は長野県という情報もあるが、北海道川上郡弟子屈町(川湯)出身という報が多く、のち東京都杉並区永福で育ったという記述もある
家族構成:弟が2人いるという記述あり ただし、配偶者・子どもについては公的資料には確認できません。
学歴: 明治大学付属中野高等学校(定時制)中退 、東海大学付属望星高等学校(通信制)卒業
(他に出身小・中学校に関する記述もあるが、信頼性が定かでないものがあります)
これらをもとに、生い立ちと芸能界での歩み、加えて街録chや告白報道を絡めてストーリー形式でまとめます。
生い立ちからジャニーズ時代へ
土田一徳こと坂井一徳は、1969年6月28日に生まれ、北海道の弟子屈町(川湯)あたりに出生したとの情報が伝わります。
その後、東京都杉並区永福で育ったという伝承が多く、幼少期からピアノを習っていたといました。
高校進学後の1985年春、当時ジャニーズ事務所にいた知人から
「男闘呼組というバンドを作る。キーボード奏者が必要だから」
との勧誘をきっかけに、ジャニーズへの入所を決断したとされています。
彼はキーボード担当として 男闘呼組 の結成メンバーに抜擢されました。
男闘呼組は、ジャニーズ内で“ロックバンド風アイドルグループ”として企画されたユニットで、デビュー前から構想があり、設立当初のメンバー構成も変遷を経ていました。
ところが、土田はすぐにグループ活動から離れていきます。
入所・所属後間もなく、テレビ出演やドラマ出演のオファーも受けはじめたことで、音楽活動より俳優業に傾注する道へ移ったようです。
1987年後半にはジャニーズ事務所を退所し、その後約1年のブランクを経た後に別の事務所で活動を再開。俳優としての仕事を中心に展開しました。
1990年後半、TBSのドラマ『スクール・ウォーズ2』の撮了とほぼ時期を合わせて、芸能活動から引退する道を選んでいます。
その後は劇団活動、芸能プロダクション経営、イベント企画などに関わる動きも見られました。
2009年には「株式会社 i-Factory」を設立し、自らタレントマネージメントなどを手掛けたこともあります。
しかし、近年はメディア露出も抑えめで、地方での静かな生活を送っていると語る一方、本人名義での告白や発信も増えてきています。
街録ch・告白と「ジャニー喜多川」問題との交差
2023年6月、週刊文春で「35年目の告白」と銘打たれた記事で、土田一徳氏はジャニー喜多川氏から受けたとされる性加害被害を告白しました。
彼は、ジャニーズの“合宿所”における空気、人間関係、そして拒否した際に放たれたという
「ユー! ズルいよ!」
という言葉を、鮮烈な記憶として語っています。
たとえば、ジャニー氏と初めて会った場で、
「おいで」
と呼ばれ隣に座らされ、服越しに体を撫でられた経験。
その場面を“平然とファミコンゲームしている他の少年たち”の存在とともに語っています。
その後、ジャニー氏に「ご飯行こう」と誘われ、岡本健一、高橋和也、成田昭次と一緒に、新宿のロイヤルホストに行った時、
「ユー。やっちゃいなよ」
と言われ、芸能活動を進める選択を促されたとも語られています。
そしてある時、合宿所を訪れた土田氏は夕方、部屋着に着替えて、疲れてマットで横になっていました。
「ちょうど、男闘呼組のメンバーがいなくて、ジャニーさんの他は、家政婦と数名のジュニアだけ。合宿所はガランとしている状態でした。しばらくすると布団の中にジャニーさんが入ってきた。『とうとう、俺のところにきた』と思って」
ジャニー氏は、土田氏を後ろから抱きしめてきた。
「後ろから触られて、嫌だった。振り返って押そうと思ったら、ヒザがジャニーさんのお腹にドーンと入ったんです」
するとジャニー氏は、
「ユー! ズルいよ!」
と言ったのです。
この告白は、街録ch などのメディアでの取材とリンクして注目されており、視聴者や読者の関心を大いに引きました。
実際、ある人が
「元男闘呼組・土田一徳氏の街録chを見たけど、ジャニーズ問題というより当時の芸能界とその周囲の腐敗が語られる秀作」
という感想をXに投稿するなど、告白だけでなく背景の構造に目を向ける声も多く出ています。
街録chで取り上げられた内容は「被害の告白」だけではなく、
合宿所の異様な日常、
組織と個人の力関係、
沈黙・黙認の問題、
そしてその後の彼自身の日常
と葛藤を含む幅広いテーマを扱っており、視聴者の共感や議論を呼んでいます。
土田氏は、告白を決意した背景に「日常が脅かされる」ような言説の氾濫やネット上での誤情報(死亡説など)への反論、そして自身の名誉回復の意図を挙げており、“黙ってはいられない”という思いを語っています。
また、彼は不整脈による心肺停止で集中治療室に入ったという報道もありましたが、後に退院し回復に向かっているとされています。
2024年1月には、故・ジャニー喜多川氏による性加害をめぐる補償案について、SMILE-UP. との合意を自身のX(旧Twitter)で報告したという情報もあります。
総括・考察と読者への問いかけ
土田一徳という人物の歩みを振り返ると、彼はアイドル・ミュージシャン・俳優・プロデューサーなど多彩な役割を経験しながら、長らくメディアの前に姿を出さない時期もありました。
しかし、近年の告白と発信は、彼の“影”と“沈黙”に光を当てる契機ともなっています。
その告白は、単なる個人の被害体験を超えて、芸能事務所・組織体制・権力構造・黙認と告発のジレンマと深く結びついています。
街録ch という形式で語られることによって、視聴者は「告白者の声」を直接聞き、従来の報道では抑えられてきたニュアンスや“空気”に触れる機会を得ています。
権力を持つ側と弱い立場の側の関係性をどう見るか?
告白と記憶の重み、沈黙していた時期の意味とは?
タイトルにもあるように、「ユー!ズルいよ!」という言葉は、被害を拒否したときの拒絶・威圧・無視を象徴する語彙として響きます。
この記事を読んだ人が、過去の報道や噂を改めて見直すきっかけになればと思います。


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