早見優 年齢を感じさせない美しさの秘訣は?元祖バイリンガルアイドル!

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引用元:早見優公式サイト

早見優さんといえば、バイリンガルアイドルの元祖と言ってもいい存在ですよね。

今50代前後の方には、南国の空気をまとっていて、ハーフではないのに英語が話せる、今までになかった新しいアイドルの姿を思い出すのではないでしょうか。

そんな早見優さん、アイドルとして一世を風靡しましたが、歳を重ねてもなお美しく、幅広い活動をされています。

そこには天性の美しさだけではない、知性や努力家の面もうかがえます。

今回はそんな早見優さんのプロフィールをたどりながら、その魅力がどこから生まれてくるのか見ていきたいと思います。

元祖バイリンガルアイドル・早見優のプロフィールをたどる

  • 名前 早見 優 (はやみ ゆう)
  • 本名 福田 一美 (ふくだ かずみ)旧姓は舘野(たての)
  • 家族 夫(福田 富雄)長女、次女 
  • 生年月日 1966年9月2日 58歳(には見えません 本当に!)

熱海生まれのグアム育ち

早見優さんはは静岡県熱海市で、3才まで過ごしますが、3歳の時に両親が離婚し、母、祖母と共にグアムへ移住します。

早見優さんの祖母は日本人ですが、ドイツ生まれのイギリス育ちです。

仕事の関係でヨーロッパに渡った家庭に生まれ、その後、イギリスで、当時明治大学の教授だった祖父と出会って日本に帰国し、在日アメリカ大使の秘書として仕事をしていたそうです。

祖母は1912年(大正元年)生まれ。1984年に72歳で亡くなりました。

かっこいいモダンガールであった若い頃の頃の写真があるそうです。

その時代、日本人でこのような経歴の方は本当にごく一部だったでしょうね。働く女性としても稀有な存在だと思いました。

その祖母が、グアムに新しくオープンしたホテルの宴会場マネジャーとして呼ばれ、それを機にグアムに引っ越すことになり、7歳までグアムで育ちます。

そして、早見優さんの母親は、若いころはモデルをやっていて、日本人で初めてパリコレに出演したそうです!

美しさはきっと母親ゆずりでもあるのですね!

グアムに移ってから英語を勉強するために大学に入り直し、早見優さんが7歳の時にツアー会社を起業します。離婚したこともあるとは言え、母親も自立した女性だったのですね。

その時にハワイへ引っ越したため、ハワイで14歳の時まで暮らすことになります。

学校では「キャシー」と呼ばれていたそうですよ。

ハワイでスカウトされアイドルデビュー! ピアスの穴効果?!

早見優さんは、14歳の誕生日の直前に、ハワイ三越(現在は閉店)のエレベーターの中でスカウトされました。

本当に家族同様!愛犬への愛情が感じられますね。

小さいころからピアスの穴を開けたくて、何度母親にお願いしても、ずっと14歳になったら開けてもいい」とだけ言われていたそうです。

なぜ14歳なのかは今もって謎なのだそう…。何か母親なりのインスピレーションがあったのでしょうか。

そして、14歳を目前にしたある日、母親と一緒に念願のピアスの穴を開けに行き、帰りがてら新しくできたハワイ三越の中のお好み焼き屋さんでランチをしたそうです。

その時母親に、「ピアスの穴を開けると運命が変わるのよ」と言われ、「へえー」なんて思っていたところ、なんと、その帰りのエレベーターの中でスカウトされてしまいます!

即効果あり!ピアスの穴で大きく運命が変わった瞬間でしたね!

スカウトされたことに、保守的な祖母が反対すると思いきや、「こんなチャンスはめったにないのだから、行ってきなさい」と、背中を押してくれたそうです。

それで、単身日本に帰国することになり、最初は叔母さん(母親の妹)の家にお世話になります。

それまでも母親とは日本語で話していたので、一応日本語は話せましたが、当時のマネジャーさんによると、やっぱり変な日本語だったようですよ。

当時は今のような「天然キャラ」がもてはやされる時代ではなかったため。きちんとした日本語を話さなきゃいけないというプレッシャーがあったとのこと。

海外で育ってきた14歳の女の子にはかなりな重圧だったろうと思います。

そして、やはり、かなりの空耳状況に陥ったそうです。

滑舌がいい人 → カツレツがいい人 → おいしそうな人?

波浪注意報 → ハロー注意報 → 楽しそうな注意報?

など、日本語を常用していると思いもつかない空耳ですよね。

そんな環境の大変化にとまどいつつも、大ファンであった山口百恵さんのような歌手になりたいと思い、アメリカンスクールに通いながらレッスンを受け、1982年4月、16歳で「急いで!初恋」で念願の歌手デビューとなります。

デビュー当時のキャッチコピーは「少しだけ大人なんだ」だったそうです。

なんだか素朴で可愛い印象です。

学業と芸能生活の両立がやっぱり大変!

帰国直後はアメリカンスクールに通っていましたが、デビューしてからは学業との両立のため堀越学園に編入します。

学校の勉強が英語から日本語へ一気に変わり、残念ながら、英語以外の科目はひどい成績だったそうです。

でも、日本語で勉強をしなければならない環境に置かれたことで、ここでかなり日本語が上達したそうです!

アメリカンスクールにいたままだったら、「もう日本語を話したくない」となっていたかもしれないと語っています。若いから適応できたのだとも。

いや、もう、素晴らしいですよね。

いくら母親と日本語で話していたとは言え、3歳までしかいなかった日本で暮らすのは容易ではなかっただろうと想像します。

そして、高校に入学したものの、3年間は芸能活動でほとんど勉強する時間がなかったそうです。

担任の先生に「進路はどうしたいか」と聞かれて「英語で勉強できる環境の大学に行きたい」と答えたところ「上智大学があるけれど、たぶん無理だろう」と言われてしまいます。

最初の受験はやはり不合格。それでも事務所に「どうしても大学に行きたい」と話しても周りに大反対されます。仕事が一番ノッているときなので当然と言えば当然。

それでも「どうしても行きたい」と粘ったら、当時の事務所の社長が家庭教師を見つけてくれたそうです。

社長の愛を感じます。良い方ですね。

そこから1年間勉強して、一年浪人の末、見事上智大学に合格!

大学時代は、ヨーロッパでは英語よりフランス語が主流と考え、なんと専門学校でフランス語も勉強していたそうです。

すごい努力家ですよね。

そして、大学時代、のちの夫になる福田富雄さんに出逢います。

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